いりこだしのお味噌汁

尊敬していた祖母がいた。

病院でお見舞いに駆けつけた時、祖母はチューブまみれの中にいた。

意識はないが、まだ暖かい。

僕と叔父のことを親以上に心配していた祖母だった。

ひとり駆けつけた時、自然、口から感謝の言葉が出た。いや、それしか言えなかった。

その夜、病院に近い民宿で他界の知らせを聞いた。

今思うと、祖母は本当は待っていたのだろう。

僕以外が、最期に会うべきだったと、今でも後悔する。

優しくも、強い祖母だった。

小学3年の頃だったか、僕は夏休みを祖父母の実家で過ごしていた。

濃縮した子供時代、祖父が落花生で焼酎を傾ける食卓で、毎朝、食べるお味噌汁。

漁村だった祖父母の借家には、毎朝、青魚の刺身が並んだ。

炊き立ての暑い飯に、鯵の切り身を並べて、砂糖醤油をかけ、これまた暑い茶を注ぐ。

正真正銘のあじの茶漬けである。そこに添えられたお味噌汁。

結婚して自分で朝ごはんをつくるようになって。

いつしか9年がたとうとしている。

今まで食べた味を再現したいと思うのだけど、なかなかできない。

いつしか、味の再現はなくなって、自分流のおかずが並ぶようになった。

ぼくたち夫婦は、精神障害者だ。

料理を学ぶため、ホームヘルパーさんの居宅介護をお願いしている。

食べる料理は自分が選ぶ。

スマートフォンでレシピを探し、材料を買っておく。

とある時、初心者本で次のレシピを探していると、だしのとり方が掲載されていた。

顆粒だしを使うことが多い我が家だ。

手軽で安いリーズナブル。

僕の作る手料理の九割九部は、顆粒出汁で賄われている。

ふと、雑誌を見ながら、面白そうだと思ってしまった。

トライアルでいりこを買う。

なんだ、この価格は? 通常の2倍近くはしている。

でも。しかたない。思いついてしまったのだから。どうせ、外食に行くよりは安価だし。

その安易さで、高価ないりこを1キログラム。

とりあえず、出汁を取るのだから、お煮物を食べたい。

なすとインゲンをかごに放り込む。

そうやって、アパートに帰り、いりこのお腹を取り、水を張る。

一時間後。

鍋からいりこを取り出して、具材を煮る。

そこへ登場するヘルパーさん。

食べたい料理を話すと、さすが家事のプロ。

すんなり、調理に入ることになる。

秋心、となりは何をするひとぞ。

いや、柿なぞ食べている場合ではない、今は夕食づくりに専念するのだ。

だから、料理するんだよ。ぱせり。

小一時間後、しっかりとした和食が出来上がって、ヘルパーさんが退場する。

なるほど。

レシピ通りとは思えないほどの見事さで、夕食が出来上がっている。

妻と食卓に向かう。

向かうなり、祖母を思い出した。

犯人は、お味噌汁だった。

大きな勘違いをしていた。

祖母の生き方。我慢ばかりだったろう、その生涯の中で、彼女はのびのびと生きていた。

祖父が亡くなった晩年は、大好きなクロスワードパズルを繰り返し眺めながら、近所の小屋に姉妹で集って、井戸端会議。

みなとで捨てるほどあった魚介類で育った祖母さまたちは、高齢になってもひたすら元気だ。

そこへたまたま寄ったケーブルテレビの取材の際にも、祖母は片時もクロスワードの本を手放さなかったと聞く。

晩年腎臓を悪くして、透析のためのシャントを入れる手術のあとで他界した祖母だったが、最後まで子供たちの世話にはならなかったという。思えば、8人も子供を育てたのだから、誰かの元に身を寄せてもいいはずだ。

聞いてみれば、逆に叔父を養っていたというのだから、まったく豪胆というかなんというか。

自宅で行った家族葬には200人近くの人が集った。

聞けば、祖母は人にかなりの金を貸していた。

80歳になって、地元にできた衣類店のレジスターをおぼえ、孫には少し流行に遅れた縫製のととのったジーンズをプレゼントし、そこで店を賄っていたのだから驚くよりほかはない。

母や叔母は、実家に帰るなり、祖母の冷蔵庫をあてにする。

お手製の塩辛やら海産物の宝庫を、お土産などいらぬと持ち帰る。

たくましい母にたくましい娘たち。

僕は途中で宿に帰ったので、お通夜を最後までつとめることはできなかったが、祖母のお葬式は昼夜とわずの宴会だった。

確か、祖母はお酒の席は嫌いではなかったか?

残されたものたちの都合で、初七日を終えて、自宅に帰った。

しばらく、そんな様子の僕を、父母はどう思っただろう。

僕は数日、放心状態のまま、夜間徘徊した。

とある時、気がつくと、僕は広い丘の公園で夜空を眺めていた。

雲ひとつない、夜空だった。

一番星、2番星。

徐々に夜空が降ってくる。

不意に、枯れていた涙が出た。

ばあちゃんは逝ったのだ、と頭が知った。

いりこだしのお味噌汁を含んだとき。

その夜空を思い出した。

後日、新婚初夜に僕は、その丘の上の公園の星空を眺めたその空は、思い出の中にはあるものの、やはり違った空だった。

人の歴史は移り変わる。赤子が生まれ、年老いて死ぬ。

それでも、残したタイムリミットに今を感じながら、僕らは生きていく。

それでいいのかと警鐘を鳴らしながら、それしかない人生を過ごしていく。

今夜、母が持って帰るはずの、そんな思い出話に心よせる。

祖母に会える方法を探りながら。