西暦2023年3月14日 岡野陽子の場合
<セクション1>
「陽子おばさん、初めまして。親戚のトーヤです」
珍しく、晴れた春の日だった。庭の紅梅が香り、野鳥が鳴き声を覚える夕暮れに、王子は私、岡野陽子のアトリエにやってきた。見惚れるほどの紅顔の美青年。先日、テレビで夢中になったアイドル出身の演技派俳優のようなスターの雰囲気を纏っている。
知らない顔だ。新手のセールスだろうか。
「どちら様ですか?」
「おばさんっ! 僕ですよ。僕! エリザベスから聞いてないんですか?!」
はて。その名前が出てきてハッとした。
スマホを取り出して、確認する。
今、エリザベスは智弘と一緒に近所のスーパーへ出掛けているようだ。
「うん。ひとつ聞いてもいいかな? 君は彼女の関係者なのかな?」
「はい。エリザベスとは、永遠の愛を誓いあった関係です」
私の中の時間が止まった。
「18歳です。知人です。彼女のTwitterをフォローしていますっ!」
私のドン引きをよそに、力説を続ける王子。
えーあー。と少し間の抜けた声を発した後、私はにこやかに答えた。「彼女はそろそろ、アパートに帰るんじゃないかな?そっち訪ねてもらえる?」
「え?いいんですか?」
「どうぞ。多分、旦那と一緒にいると思うわよ」
「まさか、お義父さんですか?僕、お会いするのも楽しみにしていたんですっ!」
青年が顔を輝かせて、アトリエを去って行く。
「・・・行かせていいんですか?」
部屋に戻ったぬくぬくの部屋の中で、物陰に隠れていたニホンオオカミが呟く。
この狼の名はスクランブル。一応、うちのペットであり電化製品。今は、ミュージックプレイヤーとして、私の仕事場に入り浸っている。ついでに言っておくと、私の仕事は画家兼イラストレーターだ。
「今の人、あなた知ってる?」
「ええ。トーヤさんですね。まりん様の息子で、未来のエリザベスお嬢様の婚約者です」
初耳だ。年齢差について、ぷんぷんと犯罪の匂いがするが。
「だから、誤解ですよ。お嬢様が時間旅行者であることをお忘れですか?」
「あ」
突然、理解できてしまった。
つまり。理由はわからないが、青年は大人になった彼女を探しているのだ。
<セクション2>
30分後きっかり。つまり、王子がアパートに辿り着く頃合いに、スマホが悲鳴を上げた。
「今、いきなり王子がきて泣き出したんだけど、どうしよう?」
当たり前だが、智弘も対応できなかったようだ。
「エリザベスは?」
「一応、彼女も手伝ってくれているだけど、かえって逆効果のようで」
1時間後、私はアパートに帰った。
部屋の片隅で、落ち込んでいるトーヤ青年。せっかくの王子スマイルが台無し。
「よしよし。トーヤ兄ちゃん大丈夫?」
背中をさする5歳のエリザベス。
「いや、確かに僕は君を愛しているけど、今の君を愛したら何かが違うと思うんだ・・・」
そうこうしているうちに、智弘が宇治茶とかんころ餅を持ってきた。
「ほらほら、トーヤくん。美味しいおやつがきたよ」
意味がわかるのか、わからないのか、エリザベスは王子をなぐさめる。
妙に引っかかった。この子にしては親切すぎる、と直感が言った。
別室で、私はエリザベスを問い詰める。
「未来のあなたの婚約者よね?彼」
「うん。そうらしいね。でも、王子が探していたのは16歳のあたしみたいだけど」
元気に笑顔のエリザベス。
「他人事のように言うわね」
「だって他人だもん?11年後のあたしなんて」
ふうん。そうなんだ。と、ため息がもれた。
「で、そんなあなたがどうして他人の婚約者に優しいのよ?」
私の言葉に、エリザベスが驚いた顔をする。
大人の洞察力を甘くみないでね、と心の中でつぶやいてみせる。
しばらく、考えた後でこう答えた。
「だって、知ってるもの。16歳のあたしの居場所。それに、今、2人の仲ってこじれてるみたいだし」
私は、ぱくりとかんころ餅をかじって、宇治茶を流し込んだ。
<セクション3>
翌日。
先日のコンペで入賞したことを口実に、私は母にガトーショコラを差し入れた。
そこにいるという16歳のエリザベスに会ってみたかった。
場合によっては、トーヤとエリザベスの恋を解決してあげたい気もあった。
私はそこで初めて対面した。
やけに花柄が目立つワンピースに、ウエーブのかかった亜麻色の髪の女の子。
言葉さえ発しなければ、誰もが振り返る美少女。面影がある。確かに、この子もエリザベスだ。育成シュミレーションゲームのスタート地点から、結果を一気に飛ばしてみて感じだ。
「あの、、、陽子おばさん・・・」声は力強いメゾソプラノ。
「ん?」
「もしかして、あたしが暴露したの?」
私はこくりとうなづく。
「とりあえず、2人の関係がこじれていることは聞いたわよ」
顔が真っ青になったあと、一気に顔が高調する。
「だって、今度はあいつ、浮気したのよ!」
途端に、マシンガンみたいに喋り出したエリザベス。何を言っているのか、いささか判別は難しいが、何やら危機迫った状況らしい。
王子・・・浮気はいくらなんでも・・・。
そもそも。この美少女の純愛を横取りした悪女は誰なのだ?
次の瞬間。時間が止まった。
「トーヤの浮気相手は『ひな』ママよ!
相思相愛の二人を、あたしがどうこうできるわけないじゃないっ!」
<セクション4>
トーヤ、ひなちゃん、エリザベスの三角関係。
頭が痛い。と正直、思った。
話をかいつまんで聞いてみると、そこに気づいた弟夫婦が介入したらしい。
懸命な判断だと思うが、弟よ。それじゃだめなんだよ。記憶がただしければ、将来、ひなちゃんは歴史を変える大発明家になるのだ。その情熱の激しさをその程度の圧力が抑えられるわけがない。
それにと私は気づく。
トーヤとひなちゃんがくっついちゃうと、歴史が変わってしまうんじゃないの?
わふっ!
鳴き声に驚いて、足元をみると、そこにスクランブルがついてきていた。
「やばいですね。私がエリザベスの愚痴を聞きますんで、ここに軟禁されているひな女史の言い分も聞いてみたらどうです?」
私は奥の部屋に軟禁されている、ひなちゃんを訪ねる。
見れば、姪っ子は片足のギブスをベッドにおいて、うなだれながらタブレットを覗き込んでいるところだった。
号泣した涙のあとが頬を赤く染めている。
戦場に私は踏み込む。ここからは真剣勝負だ。
「入ってもいいかな?」
笑顔を作る私。こくりと、ひなちゃんがうなづく。
数年前、お年玉を渡す時にすれちがったきりで、私が智弘と結婚してからしっかり話すのは、久しぶりだ。張り詰めた空気がピリピリする。14歳になるだろうか。かれこれ、10年ぶりの再会だった。
「・・・陽子おばちゃん!」
「元気にしているようね? 足大丈夫?」
こくりとうなづく彼女。
どこから切り出そうか、正直悩んでいたが、それは杞憂に終わった。
いきなりの出だしから、姪っ子が口火を切ったからだ。
熱気を正面から受け止める。
姪っ子は、タブレット端末がベッドから落ちたのも気づかないほど、ただ語り尽くした。
「間違いかもしれないけど、間違いなんだけどっ!」
トーヤ、エリザベス、ひなちゃん。
この三角関係。
どれをとっても無視できない純粋な思いなんだ、と気づいた。
だから、大人の意見で踏み躙っちゃダメだ。誤魔化すのも論外だ。
なぜならば、今の私を形作ってきたものがそれを許さないからだ。
間違いなんてない。恋はどれもが正解だ。
無言で私は笑顔を作った。
私は絵を描くことを生業にしている。だからこそ、この炎は鎮めない。解決はひとつ。すなわち、試行錯誤で埋めていくこと即ちダイアローグだ。
「失敗したらやり直せばいいのよ。無難なサクセスストーリーより、間違いだらけの情熱を生き延びる。そっちの方が素敵だわ」
私はひなちゃんのタブレットをベッド脇から拾った。タブレットペンを充電器から話して、そっと彼女に持たせる。
「思いは絵にぶつけてごらん。絵に問うの。なぜ、なぜって、キャンバスに筆で殴りかかるの」
<セクション5>
「歴史的な名言を一字一句間違えませんでしたね。感激です」
小野家からの帰り道、スクランブルが私に声をかけた。
「・・・どういうこと?」
「時間事故を回避したってことですよ。あなたがあのセリフを言わなかったら、おそらく未来は変わっていたでしょう」
ふうん。そんなもんかねぇ。
私は夕暮れを歩きながら、呟く。
「あの子供達がこれからどんな恋路を歩むのか、あなたならわかりますよね?」
そりゃあね。と口の中で相槌をうつ私。
「まあ、そういうことです。今回のHANAの演算結果もあなたの行動に99%のリカバリー率を示してます」
その時、正面の人影に気がついて、私は歩みを止めた。
5歳のエリザベスが私を待っていた。
「陽子おばちゃん。どうだった?」
「・・・あなたにはまだ11年早い話」
軽く、幼女の頭をポンポンと叩く。
ぷすっ、とエリザベスが頬を膨らませる。私は、声を出して思わず笑った。
「さあ、他人のラブストーリーはほどほどにして。帰ったら、智弘のご飯が待ってるわよ」
私とエリザベスとそのペットは、夕日が落とした影をふみながら、アスファルトの道路を強くかけだしたのだった。